郡山市福島空港活用促進協議会  


郡山市民の翼、中国・西安を訪ねる

■平成16年10月9日〜12日(3泊4日)

 福島空港は今年、国際定期路線就航5周年を迎えました。郡山市民の翼は同空港の利用促進を目的に、国際線就航前の1995年(平成7年)から実施。国際線実現やその後の好調な搭乗率維持の一翼を担っています。

 10回目の今回は、郡山市制80周年、国際線就航5周年を記念し、渡航先を西安にしました。98年にも行っていますが、市民の要望が強かったためで、チャーター便を利用し、ゆったりと楽しめる旅を目指しました。

 中国東方航空MU5210便で午前11時に福島空港を出発。約4時間半後、西安の隣、咸陽市国際空港に着陸。砂漠の細かい砂が浮遊していてどこか煙るような景色。一行はホテルに入る前、三蔵法師がインドから持ち帰った教典を納めた西安のシンボルタワー大雁塔を訪ねました。

 朝のうち雨となった二日目の10日。最初に訪れた青竜寺では唐の時代から日中交流の一端に接する機会がありました。青竜寺は真言宗を開いた空海が修行した場所。今年は空海入唐から1200年、さらにこの寺に空海記念堂ができて20年の節目にあたり、10日はちょうど平山郁夫東京芸大学長も出席する記念式典の日でした。

 その後、漢代から清代にかけての石碑や墓誌銘などが並ぶ、中国最大規模の「西安碑林博物館」、唐第三代皇帝の高宗と皇后の則天武后が眠る広大な「乾陵」などを見学し、中国のスケールの大きさを実感しました。

 夕食には、西安市の李雪梅副市長が同席。李副市長は「日本と中国は、一衣帯水。共通する文化を持つ。今度、郡山も訪れたい」と歓迎。藤森市長からは、高柴デコ屋敷のサルの張り子、商工会議所の佐々木寛侑専務理事は会津塗りの筆入れを贈りました。

 今回の旅行のハイライト、兵馬俑坑博物館を訪ねる三日目の11日朝は、西安発のビッグニュースで始まりました。唐の時代、阿倍仲麻呂らとともに日本から渡り現地で亡くなった遣唐使の墓誌が見つかったと、地元紙西安晩報が報じたといいます。

 博物館に着いた一行は最初に足を踏み入れた文物展示館で、死後の世界で皇帝が乗るために作られた青銅製の馬車の精巧さに息をのみました。次に入ったのは第一号坑。巨大な体育館のような屋根の下には数千体もの泥人形が整然と並んでいました。今年は兵馬俑発見からちょうど30年に当たりますが、多くはまだ土に覆われたまま。「発掘、修復にあと200年かかるだろう」といいます。近くの秦始皇帝陵では、昔の様子を模した衛兵交代の様子も見ることができました。その後、玄宗皇帝と傾国の名花楊貴妃が過ごしたという華清池も訪ねました。

 陵西省歴史博物館は、北京の故宮博物館に次ぐ中国で二番目の規模。乾陵から運ばれた巨大な石造りの獅子が一行を出迎えました。藍田猿人の頭部、青銅や金銀の器、唐三彩の数々など一級品の展示物に足を止めました。さらにシルクロードの出発点である西の城門も見学。夜は西安名物のギョーザ料理を楽しみながら、旅の感動を語り合いました。終わりは、郡山市民の愛唱歌「ボクの街郡山」の合唱で締めくくりました。

 西安の歴史と文化を通し、さらに日本を深く知ることのできた今回の旅。団長の藤森英二市長は旅を振り返り「充実した四日間だった。この大きな感動が空港利用のさらなる促進につながってほしい」と願いました。


空海が修行した青竜寺で寛旭住職(右)と懇談する藤森市長


参道脇に巨大な石像が並ぶ乾陵


李副市長(左)に記念品を贈る藤森市長


兵馬俑坑博物館の巨大な体育館のような屋根の下に並ぶ数千体もの兵隊の人形。



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